鍼灸師を志して現在に至るまで
なぜ鍼灸師になったかは生まれた家庭環境が影響したと思います。
視力障がい者の両親の元、一人っ子として産まれました。
両親は自宅で鍼マッサージの治療院を営んでいたので、東洋医学は身近でした。
中学はバレーボール部で腰を痛めた時、母親が鍼やマッサージをしてくれて良くなった事があり、鍼は凄いなあと子供心に思ったものです。
でもその時はその程度でそれを仕事にしたいと思ったのは高校3年生の時。
建築士になりたいと思ったのですが、なんせ数学が苦手で・・それでその頃ふと思い浮かんだのが鍼灸師でした。こういう仕事もいいなと。
生物、国語、小論文で受験できる。数学はない(笑)
その頃は広島に晴眼者(視力障がいのない人)の学校がなく、親には無理を言って大阪や東京の専門学校を受けさせてもらいました。専門学校だから簡単に入れる?いえいえそんな事ありません。僕が受かった行岡鍼灸専門学校はその時倍率8倍でした。よく合格できたなと思います。
それから整形外科などでバイトしながら、3年経って国家試験も受かり、さあ就職!
といっても学校に来る求人なんてちょっと。この業界自分で探さないといけません。
それでたまたま鍼灸の雑誌に載っていた梅田にあった中国人の先生の鍼灸院に就職することに。そこは西洋医学ではなかなか治らない難病の方が多くて、良くなるというよりは進行を止める事で精いっぱいな感じでした。でも凄く勉強にはなりました。
場所柄有名な方も多く来られていました。そこで2年近くお世話になり、そのあと東大阪でダイエットの鍼灸をされている先生と縁がありそこで働かせてもらう事に。しばらく本院で勉強させて頂いたのち、新規に開院する藤井寺院の分院長を任せられることになりました。
1年近く藤井寺で働いたタイミングで院長先生が「藤岡先生、ここ譲るからやってみない?」と。ええ!まだ23歳なのに、大丈夫か?と悩みましたが、先生が提示してくれた条件も良く、思い切ってお願いしました。
25歳の時に松原市に開院。45歳の時天王寺に開院することになり松原院を天王寺に。今度は天王寺と藤井寺を行き来していましたが、天王寺院が忙しくなり2院を行き来するのが大変になったので、藤井寺は名残惜しかったですが47歳の時天王寺院のみになり、現在に至り2024年8月で開院31年になります。
趣味は40歳の時大阪マラソンに出たくて始めたランニングです。
走るの嫌いだったのに良く続いています。フルマラソン累計20回近く。ベストはもう6年位前の奈良マラソンで3時間57分です。私自身が健康でないと施術者として説得力もないので日々気を付けています。